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あなたの知る平安美人は間違いかも?絵巻物が描かない本当の姿
「平安美人」と聞くと、どのような姿を思い浮かべますか?多くの方が、細い線で描かれた目、カギのように曲がった小さな鼻、ふっくらとした頬を持つ、少し個性的な顔立ちを想像するのではないでしょうか。実は、そのイメージは、歴史的な誤解から生まれたものかもしれません。私たちがよく目にする平安美人の絵は、必ずしも当時の女性のありのままの姿を描いたものではないのです。
この広く浸透しているイメージの源は、『源氏物語絵巻』に代表される絵巻物に見られる「引目鉤鼻(ひきめかぎばな)」という独特の絵画技法にあります。この技法は、人物の顔を意図的に個性のない、様式化された形で描くためのものでした。目は一本の線のように細く、鼻は「く」の字に似た鉤型に描かれます。これは写実的な肖像画ではなく、物語の登場人物をあえて類型的に表現することで、鑑賞者が文章を読みながら自由にその人物の顔立ちや表情を想像できるようにするための工夫だったのです。
さらに、この絵画スタイルが定着した背景には、当時の国際関係も影響しています。平安時代、日本は中国の唐と密接な交流がありました。その頃の唐では、かの有名な楊貴妃のように、ふくよかで豊かな体型の女性が美しいとされており、そうした美人画が日本にも伝わりました 2。舶来の文化を高く評価する風潮があった日本では、「美人はこのように描くべきだ」という唐の絵画様式が、一種のトレンドとして受け入れられたのです。その後、日本が大陸との交流を絶つ時期に入っても、この様式化された描き方だけが残り、高貴な女性を描く際の「お決まり」として定着してしまいました。
つまり、私たちが「平安美人」として認識している絵は、実際の顔立ちを写したものではなく、特定の時代に流行した「芸術的な表現方法」なのです。本当の平安美人がどのような姿をしていたのかを知るためには、絵巻物から一度目を離し、『源氏物語』や『紫式部日記』といった、当時の人々が書き残した文学作品の記述に目を向ける必要があります。そこには、絵画とは全く異なる、驚くほど具体的で生き生きとした美の基準が記されているのです。
これが本当の平安美人!源氏物語から読み解く7つの外見的特徴
文学作品を丹念に読み解くと、平安時代の貴族たちがどのような容姿を美しいと感じていたのか、その具体的な基準が浮かび上がってきます。それは、現代の美の価値観とは大きく異なる、繊細で奥深いものでした。ここでは、『源氏物語』などの記述を基に、真の平安美人が持つべきとされた7つの外見的特徴を詳しく解説します。
特徴1:すっきりとした切れ長の目
平安時代において、最も美しいとされたのは、大きくぱっちりとした目ではなく、すっきりとして涼しげな、横に長い「切れ長の目」でした。現代の感覚では意外に思われるかもしれませんが、当時の貴族社会では、目が大きすぎるのはむしろ「品がない」と見なされることさえありました。穏やかで知的な印象を与える、落ち着いた目元が高く評価されたのです。
この価値観は、『源氏物語』の登場人物の描写にもはっきりと表れています。例えば、美貌の姫君として描かれる玉鬘(たまかずら)について、「目が大き過ぎる感じが、あまり上品には見えなかった」という一節があります。これは、彼女の美しさを認めつつも、理想の美人からは少し外れる点として指摘されているのです。一方で、不美人として描かれる空蝉(うつせみ)は、目が腫れぼったいとされており、すっきりしない目元が美しくないとされていたことがうかがえます。
特徴2:高くも低くもない通った鼻筋
鼻は、顔の中心にある重要なパーツとして、その形が厳しく評価されました。理想とされたのは、高すぎず低すぎず、すっと筋の通った上品な鼻です。鷲のくちばしのように大きく曲がった「鷲鼻」は、男性的な印象が強すぎるためか、好まれなかったようです。あくまでも自然で、顔全体の調和を乱さない、控えめでありながらも整った鼻筋が美の条件でした。
この点についても、古典文学の中に具体的な記述を見つけることができます。『紫式部日記』の中では、ある宮中の女官が「なか高き顔(鼻筋が通っている顔)」と評され、それが褒め言葉として記されています。一方で、『源氏物語』で不美人として有名な末摘花(すえつむはな)は、その名の通り鼻先が赤く垂れ下がった特徴的な鼻を持つと描写されており、整っていない鼻が美貌を損なう大きな要因と考えられていたことがわかります。
特徴3:透き通るような血色の良い白肌
平安時代の美人の絶対条件として、透き通るような白い肌が挙げられます。これは単なる美意識の問題だけでなく、当時の社会階級を象徴する重要な意味を持っていました。日焼けとは無縁の白い肌は、屋外での肉体労働をせず、御殿の奥で優雅に暮らす上流階級の証だったのです。そのため、貴族の女性たちは白粉(おしろい)を使い、徹底的に肌を白く見せる努力をしました。
ただし、求められたのは病的なまでに真っ白な肌ではありませんでした。理想とされたのは、白さの中にほんのりと血色が感じられる、生命力にあふれた艶やかな肌です。内側から輝くような健康的な白肌こそが、真の美しさの証とされました。
特徴4:身長よりも長い、艶やかな黒髪
平安美人にとって、髪は「命」とも言えるほど最も重要な身体的特徴でした。理想とされたのは、自分の身長よりも長く、床に届くほどの長髪です。そして、その髪は染められることなく、カラスの濡れた羽のように艶やかで漆黒の色をしている「濡烏(ぬれがらす)」であることが最高とされました。
当時の女性は、御簾(みす)や几帳(きちょう)の奥に姿を隠していることが多く、男性がその顔を直接見る機会はほとんどありませんでした。そんな中で、几帳の裾からこぼれる美しい黒髪は、女性の存在を雄弁に物語る数少ない要素でした。髪の長さや手入れの状態は、その女性の健康状態、家柄の良さ、そして育ちの良さを如実に示す指標であり、美しさの最大の判断基準だったのです。
特徴5:ふっくらとした下膨れの輪郭
現代ではシャープなVラインの輪郭が好まれる傾向にありますが、平安時代に美しいとされたのは、頬がふっくらとして愛らしい「下膨れ(しもぶくれ)」の顔でした。面長すぎる顔は好まれず、全体的に丸みを帯びた、柔らかく優しい印象の輪郭が理想とされました。
このふっくらとした輪郭は、若々しさや健康、そして裕福さの象徴でもありました。栄養状態が良く、満ち足りた生活を送っているからこその豊かな頬は、見る人に安心感と魅力を感じさせたのです。この価値観は、後述する体型の好みとも密接に関連しています。
特徴6:小柄で華奢な体つき
平安時代の理想の女性像は、身長が低く、全体的に小柄で華奢な体つきでした。物語に登場する姫君たちは、男性に庇護されるべき、か弱く愛らしい存在として描かれることが多く、そのイメージに合致する小柄な体格が美しいとされました。大柄な女性は、やや威圧的に感じられたのかもしれません。優雅で繊細な立ち居振る舞いが求められる貴族社会において、小柄な体はそれだけで優美な印象を与えたのです。
特徴7:ぽっちゃり?スリム?体型をめぐる2つの説
平安美人の体型については、実は専門家の間でも意見が分かれる、非常に興味深いテーマです。
- 説1:文学が描く「ぽっちゃり」理想説多くの文学作品の描写や、唐の文化からの影響を考えると、「ぽっちゃり」とした、ややふくよかな体型が好まれたとする説が有力です。痩せすぎていることは貧しさや不健康を連想させ、魅力がないと見なされました。豊かな肉付きは、栄養状態の良さ、つまり裕福さの証であり、女性らしい柔らかさや大らかさを感じさせる美点だったのです。
- 説2:装束が求める「筋肉質」現実説一方で、全く異なる視点からの説も存在します。それは、平安時代の貴族女性は、実は「かなり骨太で筋肉質」だったのではないか、というものです。その根拠は、彼女たちが日常的にまとっていた「十二単(じゅうにひとえ)」にあります。十二単は非常に重く、一説には総重量が20kg近くにもなったと言われます。絹の上着1枚でも4kgほどあり、それを日常的に3〜4枚重ねていたとすれば、毎日12kgから16kgもの重りを身につけて生活していた計算になります 2。このような過酷な装束を着こなすには、華奢なだけでは到底無理で、相当な体力と筋力が必要だったはずです。
この二つの説は一見矛盾しているように見えますが、両立するものと考えるのが妥当でしょう。つまり、平安美人の理想とは、「見た目にはふっくらとして柔らかそうに見えるが、その実、重い装束を優雅に着こなすだけの強靭な体幹と筋力を内に秘めている」という姿だったのではないでしょうか。それは、見せかけの華奢さではなく、厳しい宮中生活を生き抜くための、しなやかで力強い美しさだったと言えます。
白粉からお歯黒まで!平安美人の独特すぎる化粧術とファッション
平安時代の女性たちは、これまで見てきたような美の基準に近づくため、現代から見ると非常にユニークな化粧やファッションを実践していました。彼女たちの美意識は、単に外見を飾るだけでなく、社会的地位や教養を示すための重要な自己表現でもありました。
その化粧法は、個々の顔立ちを活かすというよりも、理想とされる「型」に自身を近づけるためのものでした。
- 白粉(おしろい)透き通るような白肌を実現するため、米の粉などから作られた白い粉を顔から首、襟足にかけて厚く塗りました。これは、身分の高さを視覚的に示す最も重要な化粧でした。
- 引眉(ひきまゆ)なんと、元々の眉毛をすべて抜き、あるいは剃り落としてしまいました。そして、眉があった場所よりもずっと高い、額の中ほどに「殿上眉(てんじょうまゆ)」と呼ばれる楕円形の眉を墨で描いたのです。これにより、表情が乏しくなり、ミステリアスで高貴な印象を与えました。
- お歯黒(おはぐろ)成人女性や既婚女性のしるしとして、歯を黒く染める習慣がありました。鉄漿(かね)と呼ばれる液体を歯に塗り重ねるこの習慣は、白い顔とのコントラストで口元を引き締め、表情を豊かに見せる効果があったとされます。また、現代の観点からは意外ですが、虫歯予防の効果もあったと言われています。
これらの化粧は、素顔を隠し、個性を消すことで、誰もが「貴族女性」という共通の理想像に近づくための儀式のようなものでした。
そして、その美意識の集大成が、ファッションである「十二単」です。この装束の美しさは、何枚も重ねた衣の色の組み合わせ「襲(かさね)の色目」にありました。季節の移ろいや行事に合わせて、繊細な色彩感覚で衣を重ね、そのグラデーションの美しさを競ったのです。御簾の向こうから、袖口の色合いがわずかにのぞくだけで、その女性の教養やセンスの高さが計られました。前述の通り、その総重量は12kgから16kgにも及び、この重さに耐えながら優雅に振る舞うこと自体が、平安貴族の女性に求められる強さと忍耐の証でもあったのです。
見た目が全てではない!平安美人に求められた3つの内面的教養
平安時代の美の基準で最も重要なのは、外見の美しさが全てではなかったという点です。むしろ、容姿以上に、内面からにじみ出る知性や教養、品格が「真の美人」の条件として極めて高く評価されていました。男性たちは、直接見ることのできない女性の顔を想像しながら、彼女たちが示す教養の高さに心を惹かれたのです。
教養1:和歌や楽器を嗜む芸術的センス
平安貴族のコミュニケーションにおいて、和歌は不可欠なツールでした。特に男女の恋愛においては、自分の気持ちを巧みな和歌に託して贈ることが当たり前でした。そのため、優れた和歌を詠む能力は、女性の魅力を決定づける最も重要なスキルの一つでした。美しい文字で書かれた、知的な気の利いた和歌を受け取った男性は、まだ見ぬ相手の素晴らしい人柄や美しさを想像し、恋心を募らせたのです。
また、琴などの楽器を美しく演奏できることも、高く評価される教養でした。御簾の向こうから聞こえてくる優雅な音色は、その女性の繊細な感性や品性の高さを物語るものでした。
教養2:奥ゆかしく知性あふれる会話力
たとえ姿が見えなくても、言葉を交わす機会はありました。その際の会話の内容や話し方が、女性の評価を大きく左右しました。求められたのは、単に美しい言葉遣いができるだけでなく、機知に富んだ受け答えができる知性です。常識的で趣味の良い会話ができる女性は、男性にとって非常に魅力的でした。奥ゆかしさを持ちながらも、会話の中にキラリと光る知性を感じさせること、それが理想のコミュニケーションでした。
教養3:気品と謙虚さを兼ね備えた性格
平安美人の理想の性格は、優しくおっとりとしていて、決して前に出すぎない「奥ゆかしさ」が基本でした。しかし、それは単に控えめであるという意味ではありません。内面にはしっかりとしたプライドと芯の強さを持ち、簡単には人に流されない「スキがない」一面も同時に求められました。
『源氏物語』の主人公・光源氏が理想の女性として終生追い求めた藤壺の宮は、まさにこの「奥ゆかしくてガードが堅い」女性の典型です。気品と謙虚さ、そして近寄りがたいほどの高貴さを兼ね備えた性格こそが、男性の心を強く惹きつける最高の魅力と考えられていたのです。
現代の美人と平安美人はどう違う?美の基準を徹底比較
ここまで見てきた平安美人の基準は、現代の私たちが考える「美人」のイメージとは多くの点で異なっています。この1000年以上の時を経て、日本の美の基準がいかに変化してきたのかを、一覧表で比較してみましょう。この比較を通じて、それぞれの時代の社会や文化が、人々の美意識にどれほど強く影響を与えてきたかが見えてきます。
項目 | 平安美人 | 現代美人 |
目 | すっきりとした切れ長の涼しい目元 | 大きくぱっちりした二重 |
鼻 | すっと通った高すぎない鼻筋 | 高くシャープな鼻筋 |
肌 | 透き通るような絶対的な白肌 | 白肌、健康的な小麦肌など多様化 |
髪 | 漆黒のストレートで床につくほどの長髪 | カラーやパーマなど自由で個性的なスタイル |
体型 | 小柄でふくよかな健康体 | 高身長でスリムなモデル体型 |
化粧 | 個性を消し様式化する化粧 | 個性を活かし魅力を引き出す化粧 |
重視される点 | 和歌、楽器、書道などの「教養」 | ファッションセンス、コミュニケーション能力、自己表現力 |
この表から明らかなように、平安時代の美の基準は、非常に「画一的」でした。白肌、黒髪、切れ長の目といった、ごく限られた理想形があり、すべての女性がその型にはまることを目指しました。これは、美しさが個人のものではなく、貴族という特定の社会階級に属するための「記号」であったことを意味します。
それに対して、現代の美の基準は「多様性」と「個性」を重視します。肌の色も髪型も、一つの正解があるわけではなく、一人ひとりが自分の魅力を最大限に引き出すことが美しいとされます。美しさが、決められた型に合わせる「同調」から、自分らしさを表現する「自己表現」へと、その本質を大きく変えたのです。
まとめ:平安美人の魅力は、外見と内面の調和にあり
この記事では、絵巻物が作り上げた誤解を解きほぐし、文学作品を手がかりに真の「平安美人」の姿を探ってきました。すっきりとした目元、通った鼻筋、そして何よりも身長を超えるほどの美しい黒髪といった外見的な特徴。そして、それ以上に重要視されたのが、和歌や楽器の才能、知的な会話力、そして気品あふれる性格といった内面的な教養でした。
平安時代の美しさとは、単なる容姿の優劣ではありませんでした。それは、厳しい宮中社会を生き抜くための知性と強さ、そして洗練された文化を体現する芸術的センスが、外見と見事に調和した状態を指す言葉だったのです。姿が見えないからこそ、人々は言葉や音色、文字の美しさから相手のすべてを想像し、その内面の輝きにこそ真の美しさを見出しました。
外見を磨き上げると同時に、内なる知性と感性をどこまでも高めようとした平安の女性たち。その総合的な美しさこそが、1000年の時を超えてなお、私たちの心を惹きつけてやまない平安美人の真の魅力なのかもしれません。
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