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大塩平八郎の乱、なぜ起きた?元役人が命を賭して貫いた正義の正体

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大塩平八郎の乱とは?元役人が起こした反乱の全貌をわかりやすく解説

 

江戸時代の歴史において、庶民のために立ち上がった衝撃的な事件として語り継がれているのが「大塩平八郎の乱」です。

教科書では習ったけれど、「具体的に何が起きたの?」「なぜ元役人が反乱を起こしたの?」と疑問に思う人も多いでしょう。

この記事では、当時の大阪を火の海にした一大事件の背景、原因、そして結末について、具体的な数字やエピソードを交えながら詳しく解説していきます。

大塩平八郎の乱を一言でいうと?事件の概要を30秒で把握

まずは、この事件がどのようなものだったのか、全体像を掴んでいきましょう。

大塩平八郎の乱は、1837年(天保8年)2月、大阪で発生した武力反乱です。

リーダーを務めたのは、かつて大阪町奉行所の「与力(よりき)」という警察官のような役職についていた大塩平八郎でした。

彼は、飢餓に苦しむ民衆を救わない幕府の役人に激怒し、自らの門弟や農民を引き連れて蜂起します。

結果として反乱は半日で鎮圧されましたが、**「幕府の元役人が反乱を起こした」**という事実は、当時の社会に計り知れない衝撃を与えました。

この事件の要点を以下の表にまとめました。

項目 内容
発生日時 1837年(天保8年)2月19日
場所 大坂(現在の大阪府)
首謀者 大塩平八郎(元大阪町奉行所与力)
原因 天保の飢饉による食糧難、役人の腐敗
結果 わずか半日で鎮圧、大塩父子は後に自害
歴史的意義 徳川幕府の権威が揺らぐきっかけとなった

この反乱は、単なる暴動ではありません。

「民衆を救いたい」という強い正義感から生まれた、命がけの行動だったのです。

では、なぜ元役人である彼が、幕府に弓を引く決断をしたのか、その深い背景を見ていきましょう。

なぜ反乱は起きたのか?きっかけは「天保の飢饉」と「役人の腐敗」

大塩平八郎が行動を起こさざるを得なかった最大の理由は、当時日本中を襲っていた大災害と、それに対する役人たちの冷酷な対応にありました。

日本中を襲った「天保の飢饉」の悲惨な状況

1833年頃から数年にわたり、日本は悪天候に見舞われ、農作物が全く育たない状況が続いていました。

これを**「天保の飢饉(てんぽうのききん)」**と呼びます。

この飢饉の影響は凄まじく、全国で数十万人規模の餓死者が出たと言われています。

当時の大阪の様子は、まさに地獄絵図でした。

町には食べるものを失った人々が溢れ、行き倒れて命を落とす人が後を絶ちません。

「天下の台所」と呼ばれた大阪でさえ、米の価格は急騰し、一般庶民の手には届かない金額になっていました。

庶民を見捨てた大阪町奉行所の腐敗

本来であれば、こうした緊急事態にこそ、幕府や役所が貯蔵している米(城米)を放出して民衆を救うべきです。

しかし、当時の大阪町奉行であった**跡部良弼(あとべよしすけ)**は、民衆の救済を拒否しました。

跡部は、大阪の民衆が飢えているにもかかわらず、自身の出世や幕府への点数稼ぎのために、大阪の米を江戸へ送り続けるよう指示を出します。

さらに、豪商たちは米を売り惜しみして価格を吊り上げ、自分たちの利益を優先しました。

「このままでは民衆が死に絶えてしまう」

大塩平八郎は、奉行所に対して何度も「蔵の米を民衆に配ってほしい」と嘆願書を出しましたが、その訴えは全て無視されてしまいます。

正当な手段での解決は不可能だと悟った時、彼の心の中で「実力行使」という選択肢が固まりました。

ヒーローか反逆者か?大塩平八郎という人物の正体

反乱のリーダーとなった大塩平八郎とは、一体どのような人物だったのでしょうか。

彼の行動原理を知る鍵は、彼が深く信奉していた学問にあります。

「知行合一」を掲げる陽明学の熱心な学者

大塩平八郎は、単なる元役人ではなく、**「陽明学(ようめいがく)」**という学問を究めた学者でもありました。

陽明学の教えの中心には**「知行合一(ちこうごういつ)」**という思想があります。

これは、「知識は行動を伴って初めて意味を持つ」「善いことを知っていながら実行しないのは、知らないのと同じだ」という考え方です。

彼は自宅に「洗心洞(せんしんどう)」という私塾を開き、多くの門弟にこの教えを説いていました。

役人時代の彼は非常に優秀で、数々の難事件を解決し、不正を許さない厳格な姿勢から「鬼与力」とも呼ばれていました。

そんな彼にとって、目の前で苦しむ人々を見捨てることは、自身の信じる正義と学問に対する裏切りに他なりません。

私財を投げ打って民衆を救おうとした覚悟

蜂起を決意する前、大塩平八郎は驚くべき行動に出ています。

彼は自身が大切に集めてきた5万冊以上とも言われる蔵書をすべて売却し、そのお金を貧しい人々に配りました。

書物を愛する学者にとって、蔵書を手放すことは身を切られるような辛さだったはずです。

しかし、彼は「本を読んで学ぶだけでは意味がない、今こそ行動する時だ」と、得た資金(現在の価値で数百万円から数千万円規模と言われます)を惜しみなく民衆救済に充てました。

この行動からも、彼の覚悟がいかに本気であったかが伝わってきます。

【タイムライン】事件当日の動きと予想外の結末

準備を進めた大塩平八郎は、ついに決起の日を迎えます。

ここでは、事件当日に何が起こったのか、時系列で確認していきましょう。

1837年2月19日:早朝の砲撃と火災の発生

決起の日は、1837年2月19日の朝に設定されました。

大塩は、自宅の向かいに住んでいた豪商の家に向けて大砲を発射し、これを合図に反乱を開始します。

「救民」の旗を掲げた大塩軍には、彼の門弟や近隣の農民など約300人が集まりました。

彼らは「豪商を襲って米や金を奪い、貧しい人々に配る」という目的を掲げ、大阪の町を行進します。

この時の作戦では、火薬や大砲を使用したため、大阪の町は大火災に見舞われました。

火はまたたく間に燃え広がり、当時の大阪市街の約5分の1にあたる、1万軒以上の家屋が焼失したと言われています。

これを「大塩焼け」と呼びます。

わずか半日での鎮圧と裏切り

大塩平八郎の計画は綿密に練られていましたが、実行直前に大きな誤算が生じました。

なんと、味方の中から密告者が出てしまったのです。

計画が事前に奉行所に漏れていたため、幕府軍はすでに対策を講じていました。

大塩軍は果敢に戦いましたが、正規軍の圧倒的な武力の前に次々と敗れ、散り散りになってしまいます。

結果として、反乱は始まったその日のうちに鎮圧されました。

40日間の潜伏と最期

反乱の失敗後、大塩平八郎は息子と共に大阪市内の商人の家に潜伏しました。

幕府の厳しい捜索が続く中、約40日間身を隠し続けましたが、ついに隠れ場所を突き止められます。

役人が踏み込もうとしたその瞬間、大塩父子は火薬に火を放ち、自爆して命を絶ちました。

捕まって生き恥をさらすよりも、自らの信念を貫いて死ぬことを選んだ壮絶な最期でした。

反乱が歴史に残した「巨大な爪痕」とは

大塩平八郎の乱は短期間で鎮圧されましたが、その影響は決して小さくありませんでした。

この事件は、長く続いた徳川幕府の体制が崩壊へ向かう「終わりの始まり」を告げる鐘となったのです。

「幕府は無敵ではない」という衝撃

それまで、徳川幕府の支配は絶対的なものであり、庶民が反乱を起こすなど考えられないことでした。

しかし、幕府側の人間であった「元与力」が反乱を起こしたという事実は、全国の人々に**「幕府の内部も腐敗している」「幕府の支配力は弱まっている」**という印象を強く植え付けました。

大塩平八郎が撒いた「檄文(げきぶん)」と呼ばれる声明文は、幕府の検閲をかいくぐって全国に写しが広まり、多くの人々が彼の主張を知ることになります。

続く反乱と明治維新への影響

大塩の行動に刺激され、その後も各地で反乱が相次ぎました。

越後(現在の新潟県)で起きた**「生田万の乱(いくたよろずのらん)」**などは、明らかに大塩の影響を受けたものです。

「誰かが声を上げれば、社会は変えられるかもしれない」

大塩平八郎が灯した抵抗の火種は、人々の心の中で燻り続け、やがて来る明治維新という大きな変革のエネルギーへと繋がっていきました。

まとめ:大塩平八郎の乱は「正義」を貫いた行動だった

大塩平八郎の乱について、背景から結末まで解説してきました。

最後に、重要なポイントを振り返ってみましょう。

  • 事件の正体:1837年、元役人の大塩平八郎が民衆救済のために起こした反乱。

  • 原因:天保の飢饉と、民衆を顧みない役人の腐敗。

  • 大塩の信念:陽明学の「知行合一」に基づき、蔵書を売ってまで民衆を救おうとした。

  • 結果:大阪の街を焼く大火災となったが、半日で鎮圧され、大塩は自害した。

  • 歴史的意義:幕府の権威失墜を招き、倒幕への流れを作るきっかけとなった。

やり方は過激で、多くの家を焼いてしまったことは批判されるべき点かもしれません。

しかし、自分の利益や保身を捨てて、苦しむ人々のために命を懸けた大塩平八郎の姿は、今の時代を生きる私たちの心にも強く訴えかけるものがあります。

ただの歴史用語として暗記するのではなく、「正義とは何か」を考えさせられる事件として記憶に留めておいてください。

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