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アパルトヘイトとは?南アフリカの人種隔離政策を簡単に解説

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アパルトヘイトとは、アフリカーンス語で「分離」を意味する言葉で、南アフリカ共和国で1948年から1990年代初めまで実施された法的な人種隔離・差別制度を指します。アパルトヘイトという言葉はもともとアフリカーンス語で「apartness」(離れている状態)を意味し、実際には白人と非白人を隔てて別々に扱う考え方を示しています。簡単に言えば、白人(ヨーロッパ系)と非白人(黒人や有色人種)を厳格に分け、白人を特権階級とする社会構造です。その結果、人口の大多数を占める黒人や有色人種は政治的・経済的権利を著しく制限され、白人と同等な暮らしを許されませんでした。

誕生の背景と歴史

南アフリカでは1910年のイギリス連邦加盟以降、すでに黒人に対する人種隔離的な法律が存在していました。例えば1913年の土地規制法では黒人アフリカ人の居住地が「居留地」に限定され、白人以外が土地を所有できないよう制限されました。こうした制度により黒人は貧しい地域に押し込められ、生活基盤を奪われていきました。第二次世界大戦後の1948年、アフリカーナー系ナショナル党が「アパルトヘイト(分離)」をスローガンに掲げて政権を奪取しました。彼らは白人と非白人の分離を徹底する政策を進めました。こうしてアパルトヘイトは南アフリカ政府の公式政策となり、人々の日常生活は人種によって徹底的に区別されることになりました。

この制度に対し、国内外で反対運動が起こりました。1960年のシャープビル虐殺事件では、平和的なデモに対し警官が発砲して69人以上が死亡し、国内外で反発が強まりました。1970~80年代には経済制裁やスポーツ・文化交流のボイコットなど、国際社会からの圧力が激化しました。国連は1966年にアパルトヘイトを「人道に対する罪」と宣言し、1973年にはアパルトヘイト犯罪禁止条約を採択しました。こうした内外の圧力を受け、1990年代初めには南アフリカ政府は態度を転換し始めました。

アパルトヘイト下の制度と日常生活

アパルトヘイト政策の下では、人種によって生活のあらゆる面が厳しく分けられました。法律や制度には次のようなものがあります。

  • 人口登録法(1950年): すべての住民を法律で白人、黒人、カラード(混血)、インド系の4種類に分類しました。場合によっては同じ家族でも親と子で分類が分かれる例もありました。

  • 土地区分法(1950年): 都市や地域を人種ごとに区分けし、それぞれの住居地・商業地を指定しました。これにより、白人専用地域と非白人専用地域が厳格に分離されました。

  • 混婚禁止法・背徳法: 白人と非白人の結婚および性的関係を法律で禁止しました。違反すると重い罰則が科せられました。

  • 通行証制度(パス法): 黒人が都市部へ出入りする際には、労働許可証(パス)の携帯が義務付けられました。不法滞在者とみなされると逮捕され、罰則が科せられました。

  • 公共施設の分離: 学校、病院、公共交通機関(バスや鉄道)、劇場、レストランなど、あらゆる公共施設やサービスが人種別に分離されていました。

  • 教育・福祉の隔離: 学校や病院も人種別に分離され、黒人向け施設には予算が配分されませんでした。教育や医療サービスの質は極端に低い水準に置かれていました。

  • 土地規制と居住: 1950年代から60年代に一連の土地法で国土の80%以上が白人用とされ、黒人の土地所有はほとんど認められませんでした。

  • バントゥー・スタンへの強制移住: 政府は黒人を郊外や農村部の「民族居留地(バントゥー・スタン)」に強制移住させました。この過程で約350万人以上の黒人が白人地区から追い出され、遠隔地に隔離されて極度の貧困に追い込まれました。

  • 権利の不平等: 白人は選挙権や参政権をもち、良質な教育や医療を受ける権利が与えられていましたが、非白人にはこれらの権利はほぼ与えられませんでした。例えば黒人には国政選挙権がなく、教育も質の低い「黒人学校」に限られ、経済的にも劣った立場に置かれました。

  • 経済的格差: 白人は高賃金の職業や企業経営に就きやすく資産を築けたのに対し、非白人は低賃金・単純労働に限定され、多くが貧困から抜け出せない状況に置かれました。

これらの政策により、黒人や有色人種は「別の存在」とされ、あらゆる面で白人よりも低い身分に置かれました。結果として、アパルトヘイトは政府に支配された白人と、それ以外の非白人との間に深い溝を生み出しました。

反対運動と国際的圧力

アパルトヘイトに対して南アフリカ国内ではアフリカ民族会議(ANC)やパナフリカ会議(PAC)などが抵抗運動を展開しました。ネルソン・マンデラ氏をはじめとする指導者は逮捕・投獄されました。1960年のシャープビル事件では平和的なデモに警官が発砲し69人以上が死亡し、国内外で反発が強まりました。1976年のソウェト蜂起ではアフリカーンス語教育に抗議する黒人学生が全国でデモを行い、多数の犠牲者が出ました。これらの事件をきっかけに、反アパルトヘイト運動はさらに活発化しました。

同時に国際社会も南アフリカに圧力をかけ続けました。国連は1966年にアパルトヘイトを「人道に対する罪」と宣言し、1973年にはアパルトヘイト犯罪禁止条約を採択しました。1977年には国連安保理が南アフリカへの武器禁輸を決議し、1980年代には経済制裁が導入されました。また各国はスポーツ大会への南ア代表排除や文化交流のボイコットを行い、南ア政権を孤立させました。さらに1985年には非常事態宣言を受け、国連安保理が初めて第7章に基づく経済制裁を要請しました。これらの内外の圧力によって、アパルトヘイト体制は次第に追い詰められていきました。

1966年には国連総会で3月21日を人種差別撤廃の国際デーと定めました。これは1960年のシャープビル虐殺を契機に、世界中で人種差別の廃絶を呼びかける日となっています。

廃止への流れ

1980年代末、国内の抗議運動と国際制裁の重圧を受け、アパルトヘイト体制は終焉を迎えました。1989年にFW・デクラークが大統領になると、政府は転換を開始しました。1990年にはANCなど反対派への禁止が解除され、ネルソン・マンデラ氏を含む政治囚が釈放されました。同年には「国民和平合意」が結ばれ、非人種主義に基づく民主移行の枠組みが整えられました。

1994年4月、全人種が参加する南アフリカ共和国初の選挙が行われ、ネルソン・マンデラ氏が大統領に選ばれました。同年末までにアパルトヘイト関連の法律は次々に撤廃され、1996年には人種差別を明確に禁じる新しい民主的憲法が制定されました。これによって法的にはアパルトヘイトは完全に消滅し、南アフリカは「人種に基づかない民主国家」として再出発したのです。

主な出来事

年月 出来事
1913年 土地規制法成立:黒人の居住地を居留地(リザーブ)に限定し、白人以外の土地所有を禁じました。
1948年5月 ナショナル党が選挙に勝利し、アパルトヘイトが公式政策として始まりました。
1960年3月21日 シャープビル虐殺:平和的なデモに警官が発砲し69人以上が死亡しました。
1976年6月16日 ソウェト蜂起:アフリカーンス語教育に抗議する学生デモが全国に拡大し、多数の犠牲者が出ました。
1990年2月 反対派禁止を解除し、ネルソン・マンデラ氏を含む政治囚を釈放しました。
1994年4月 南アフリカで初の全人種選挙が実施され、ネルソン・マンデラ氏が大統領に就任しました。
1996年5月 新憲法採択:人種差別を禁止する民主的憲法が制定され、アパルトヘイト法は廃止されました。

現在の南アフリカとアパルトヘイトの教訓

アパルトヘイトは制度上は廃止されましたが、その負の遺産は現在も残っています。経済格差や土地所有の偏在、教育機会の不均衡など、過去の制度が生んだ問題は解決途上です。アパルトヘイト廃止後も、黒人層の貧困や失業率はなお高いままです。政府は教育支援や雇用機会の拡充などを通じて、こうした格差の解消に取り組んでいます。1995年には真実和解委員会が設立され、アパルトヘイト期の人権侵害の事実を明らかにする作業が行われました。加害者の裁判だけでなく、被害者の証言を集めて国家的和解を図る試みが特徴的です。その一方、アパルトヘイト時代から続く経済格差や土地所有の偏りといった問題も残っています。政府は黒人への教育支援や土地改革などを進め、過去の不平等を是正しようと取り組んでいます。

南アフリカでは現在、アパルトヘイト期の歴史的事実を学校教育や博物館、映画・書籍などで学ぶ機会が増えています。歴史から差別の悲惨さを学び、人種や民族を超えた共生の大切さを伝える教訓として位置づけられています。アパルトヘイトは単なる過去の出来事ではなく、すべての人の尊厳と人権について考えるための重要な学びのテーマです。

また、日本でも多くの教科書やメディアでアパルトヘイトに関する記述が見られ、人種差別の歴史として学ばれています。これは南アフリカだけでなく世界各地の差別問題を考える際にも参考になります。私たち一人ひとりが多様性を尊重する意識を持つことが大切です。アパルトヘイトの歴史を学ぶことは、人種や民族の違いにかかわらず互いの尊厳を認め合う社会を築くための大切な教訓となっています。この歴史を風化させないことが、二度と同じ悲劇を繰り返さないために重要です。

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